2022.10.30 Sun

 

もう10年前のことで、どのような展示内容だったのか覚えていないのだが(そもそも本当に観に行ったのかどうかも怪しい)、そのフライヤーに載っている写真が良くて、しかしそのフライヤーも現在行方不明のため、今はインターネットでときどきそれを眺めている。

 

https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/salonarchive/2012/06_bis.html#01

 

新宿のニコンサロンで2012年に開催された、Ma Kwan Kakさんの『Last Time Here』という展示である。

 

しかし、インターネットで検索してもこの展示以外の情報が出てこない。とある施工会社のホームページに同じ名前のカメラマンが撮ったインテリアや建物の写真がいくつか載っており、もしかしたら本人なのかもしれないのだが、作家的な活動は確認することができなかった。

 

できることなら当時の展示の写真をもう一度観たいし、他の写真もあれば観てみたい。

 

11月に発売される牛腸茂雄全集を予約した。


2022.10.09 Sun

 

TOTEM POLE PHOTO GALLERYで小野啓さんの写真展『モール』を観て代官山へ移動し、LOKO GALLERYで髙橋恭司さんの写真展『Ghost』を観た。

 

今にも雨が降りそうな曇天模様のためか、前日の夜に友人とユーミンの話をしたためか、荒井由実の「ベルベット・イースター」が頭の中でずっと流れていた。「空がとってもひくい 天使が降りて来そうなほど」というところ。

 

最後に渋谷PARCOのほぼ日曜日で『はじめての、牛腸茂雄。』展を観た。ただ一人プリントすることを許されている人が改めてプリントした作品がアクリル板をつけずに展示されていた。写真の他に、牛腸さんが使っていたカメラや読んでいた本、スケジュール帳、アイディアノート、写真集の設計図的なもの、ポジフィルムなども見ることができた。被写体への親しみもしくは愛情。似ているわけではないと思うのだが、少しだけエリオット・アーウィットのことが頭に浮かんだ。


2022.10.01 Sat

 

少し気になっていた展示を観るために表参道へ行った。

 

しかしその展示は正直なところ全くピンと来なかったので、わずかな滞在時間で退出してしまった。同作家の別の展示が少し離れた場所で開催されており、予定ではそこまで歩いてみるつもりだったのだが、『もういいかな』ということでやめにした。やはり自分はコンセプト先行の作品がどうも苦手だ。

 

せっかくなので久しぶりに青山ブックセンターへ行ってみた。Xavier Tera『青 or the offspring of a blooming death』という写真集の表紙に惹かれて手にとってみたら中身もとても良かったので購入した。背徳的な匂いを強く感じたのは僕だけだろうか。逆立ちをしても撮れないような写真の数々に嫉妬を覚える。

 

ABCを出て代々木公園の方へ向かう。旧渋谷川のあたりからCHAGE and ASKAの「river」という曲が頭の中で流れていた。なるべく人通りの少ない裏路地を選んで写真を撮りながら歩いていたら、写真展の案内の看板に遭遇。ここは以前、蓮井元彦さんの展示『写真はこころ』で来たことのあるギャラリー、Printed Unionだった。

 

東海林広太という写真家の展示『パンザマスト』を観た。奇を衒わず朴訥とした雰囲気の、小さくも美しいプリント(L判ぐらいだろうか)。私的な部分と普遍的な心象風景のバランス。ここでも写真集を購入し、ギャラリーの方からお話を聞いた。ご本人がもう少しで来るとのことだったが、時間的なこともあり退出。

 

暑い中それなりの距離を歩いたので疲れていたが、結局代々木公園まで来てしまった。園内は多くの人で賑わっていた。一時期張られていたオレンジ色のネットはなくなっていて、みんな好き勝手に楽しんでいた。公園を突っ切って代々木八幡駅まで行き、小田急線に乗って帰宅した。


2022.09.25 Sun

 

Alec Sothの展示『Gathered Leaves』を観に、神奈川県立近代美術館 葉山館へ行った。ここのところ週末は悪天候が続いており、今回も怪しかったのでギリギリまで様子を見ていたのだが、晴れることが確定したので早起きをして向かった。葉山に行くのはおそらく12年ぶり2度目ぐらい。神奈川県民であるが、逗子駅に降り立った時点で同じ県とは思えない空気の違いを感じた。

 

ほとんどを8×10の大判カメラで撮った作品は当然のことながら解像度が非常に高く、それだけでも高性能のアンプとスピーカーで音楽を聴いているような心地よさがあった。一方、人物を撮った写真などはジオラマか舞台セットのような作り込まれた感があり、縦横1メートル超のナイアガラの滝も一度時間を止めてから撮ったような不思議な静けさがあった。ネガティヴな意味ではなく躍動感というものがあまり感じられなかったのだが、これも8×10で撮ったことと関係があるのだろうか。綿密に作り込まれた世界ではあるものの、偶然性が入り込む余地も残されており、ガチガチに作り込まれていないところも良かった。

 

展示室の低い窓から海とヨットが見えた。これも一つの作品のような、現実感の無さが印象的だった。久しぶりに間近で海を見たので思わず興奮してしまい、波打ち際まで行って写真を何枚か撮った。この美術館に来るのは初めてだったが、適度な広さで雰囲気も良く、また機会があったら来てみたい。

 

当初はAlec Sothの展示だけ観て帰るつもりだったのだが、友人N君から情報を得て、横浜の新高島駅BankART Stationで開催されていた北島敬三さんの写真展『UNTITLED RECORDS』を観た。N君とも合流。

東日本大震災で津波の被害を受けた土地をはじめとした荒々しく暗澹とした風景を写したものだが、一定の距離と角度を厳格に守って撮ったような景色は不思議と過度な重苦しさは感じられなかった。「RECORDS」という言葉とも関係があるのだろうか。写真集を購入した。

 

その後、またN君の提案で日ノ出町まで歩き、高架下スタジオ Site-Aギャラリーでカンボジアのアーティスト、キム・ハク氏の展示『生きるⅣ』を観た。ポル・ポト政権時代を生き延びた人々の所持品を撮った写真やドキュメンタリー映像。大量虐殺の事実はその事情の複雑さゆえに後の世代にはあまり語り継がれていないということをテレビで見たことがあったが、このような活動は現地の人々にはどのように受け止められるのか気になった。

 

初めて伊勢佐木町を歩いた。青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」のモニュメントがあり、そこから曲の一部を聴くことができた。


2022.08.31 Wed

 

所用のため後半休をもらい、用事が済んだあと高田馬場のAlt_Mediumで川崎祐さんの写真展『未成の周辺』を観た。

 

良い意味で全体を覆う空気がどこか重苦しい。写真にも質量・密度というものがあるとすれば、その大きさ・高さによるものなのかもしれない。数年前に銀座のニコンサロンで同氏の『光景』という展示を観て写真集も持っているのだが、やはり独特の「重さ」があり(しかもこちらは家族が多く登場する)、それ故になかなか気軽に開いて眺めることができない。

 

ギャラリーを出る前、記名帳に名前を書こうとしたら、自分の一つ前のページに有名な写真家の名前が記されていた(捲って見たわけではなく紙の裏から透けて見えた)。

 

先日、写真家の今井智己さんがSNSで触れていた『フィールド・レコーディング入門―響きのなかで世界と出会う』(柳沢英輔著/フィルムアート社刊)という本が面白そうだったので、帰りに新宿のブックファーストに寄って購入した。光を撮ること、音を録ること、景色を収めること。


2022.08.28 Sun

 

雨が降ったり止んだりする中、町田の芹が谷公園に行った。なるべく自然のままにしている森には蝉の声がサラウンドで響き渡り、オオスズメバチらしき大きな蜂なども飛んでいた。その一方でポケモンのキャラクターが描かれたマンホールが点在しており、(ポケモンGOはやらないのでわからないのだが)人によってはそういうことでも興味をそそられるスポットらしかった。

 

公園の一角にある町田市立国際版画美術館で『長谷川潔 1891-1980展 − 日常にひそむ神秘 − 』を観た。日常にひそむ神秘とは?コップに挿された草花に神秘を見出すとは?そもそも神秘とは?辞書によると神秘とは「人間の知恵では推しはかれないような不思議さ」(古い新明解国語辞典)とのこと。それは例えば自然界の黄金比に基づいた操作不可能な草花の造形とか自然光の奇跡的な当たり方とかそういうものなのだろうか。

 

スナップでもポートレートでも、この日この時間でしか成立しないと思われる光景や空気感、光の当たり方に出会えるときがある。この「出会い」はまさに幸運であり、写真の醍醐味の一つだと思うのだが、これはそのときの自身のメンタルに寄るところが大きく、「波長の一致」とも呼べるこの現象も大袈裟に言えば「神秘」の一つなのではないだろうか。そして実はこれこそが作品の構成要素の殆どを占めているのかもしれない。少なくとも自分の場合はそのように思う。


2022.07.18 Mon

 

祝日(海の日)の勤務終了後、牧孝友貴さん(Link)の個展『same as always』を観に、市ヶ谷にある一口坂ギャラリィへ行った。夕方、職場を出ていつもと反対の方向へ進み、普段は使わない駅まで歩いて行き、地下鉄に乗って見慣れないホームに降り立つ。そんな行動自体は大したことではないのに、どこか離人感というか自分がいつもの自分ではないような、遠い土地を旅しているようなふわふわした不思議な感覚に陥った。

 

牧さんは展示のときにお会いするだけだが、いつも穏やかで優しい。そんな人柄が作品にも表れていて、今回もそれは変わらなかったが、直近の作品はこれまでの作風とは大きく異なっているように見えてとりわけ興味を惹かれた。same as alwaysという展示タイトルの意味、個々の作品タイトルの付け方、タイトルにおける英語と日本語の違い等々…今はどうしてもタイトルのことが気になってしまうけど、いろいろお話ができて良かった。

 

市ヶ谷は自分が通っていた大学があり、数年前まで勤めていたところでもあり、懐かしさで少し感傷的になった。新宿でかた焼きそばを食べて帰った。


2022.07.03 Sun

 

小園井和生さんの写真展『景色の飽和』を観に、神田にあるTOKYO BRIGHT GALLERYへ行った。このギャラリーは小園井さんを含めた複数の写真家有志が立ち上げたもので、しばらくはそのメンバーによる展示を行うとのこと。

 

スナップ・ポートレート・風景写真を引っくるめて「景色」とし、それが勢いよく溢れ出すというよりはコップにゆっくり溜まっていったものがやがていっぱいになりこぼれ落ちるような感覚の「飽和」。特に部屋に入って正面の一番広い面には大きさも加工の仕方もさまざまな作品が密接に配置されていて、「飽和」という言葉をよく表していたように思えた。

 

少し前に観た蓮井元彦さんの展示『写真はこころ』もそうだったが、良い意味で散らばった感じの幅の広さ。はじめにかっちりとテーマを決めて撮ったわけではなく、特に縛りを設けずに数年間撮りためてきたものを編み直した展示は、テーマ重視の写真があまり得意ではない自分にとっては親しみやすいものだった。小園井さんと少しお話ができたのだが、どういうときにシャッターを切るのかという話が特に印象的で、真似はできないけど少し意識したいと思った。

 

忙しさを理由になかなか写真に向き合えていないのだけど、こういう時間は意識的に作るものであるから、自分も来年あたりに展示ができるよう頑張りたい。


2022.06.18 Sat

 

新宿駅で夏の旅行の予約をしてからTOTEM POLE PHOTO GALLERYまで歩いていき、楊 喩雯という作家の展示『深い森のささやき』を見た。

 

写真を数枚撮った。カメラは長い眠りから復活したD70s。シャッターを切る度に「バッテリー残りわずか」の表示になり、そして元に戻る。毎回ヒヤヒヤしながらちびりちびり撮影。

 

今月からお花のサブスクリプションを始めたので駅前のお店でバラを一輪もらって帰り、すでに飾ってあるベニバナとユリに加えた。

 

台所を片付けることやお風呂に入ることが面倒に思えても、動いていると気持ちがついてくることがよくある。The Mind Follows The Body(心は身体に従う)。

 

そんなフレーズを最近思いついたのだが、意味や背景を消して言葉だけを見ると、自分の写真に対する姿勢や距離感にも言えることかもしれないなと思っている。


2022.06.11 Sat

 

写真日記的なものにするつもりで作った「Log」というページは数枚の写真を載せただけで頓挫し、その後全く手を付けていなかったので削除した。その代わりというわけではないけれど、文章日記的なものを記録するためにこのページを新たに作った。

 

週末はルーティンワークのようにテストプリントをしている。明確な基準はないけど及第点を与えられると判断した写真を、撮影した順にEPSONのスーパーファイン紙に撮影日時を添えてプリントする。プリンターの上で乾かしているので1度に2枚ぐらいしかプリントできず、週末しかこの作業を行わないので、いまプリントしているのは2月に撮った写真。週末に限定せず、平日も2日おきぐらいにプリントしていかないと追いつかないかもしれない。

 

この2月の写真はNikonのD70sという17年ぐらい前のデジタル一眼レフで写したもの。写真学校に通っていたときに新品で買ったカメラで、長いこと押入れにしまったままだったのだが、ふと思い立って昨年の秋から再び使っている。十数年ぶりに箱から出してみるとラバーの部分が溶けたようにベトベトになっていたが、インターネットにその解決方法が紹介されており、実践してみたら新品のようにきれいになった。

 

バッテリーがほとんどダメだったので新しいものをインターネットで取り寄せたがこれも状態は良くなく、連続で撮ったりすると電源が落ちてしまうので少しずつシャッターを切っている。先日はオートフォーカスが一時的に作動しなくなった。そのような感じで騙し騙し使っている状態だが、仕上がりは思いのほか良く、写真に超高解像を求めない自分にとっては600万画素のカメラでも十分だなと思っている。